大分でスピリチュアル霊視始めます

占いねこの霊視霊視

大分でスピリチュアル霊視はじめます

大分で人気の占い師ねこです。大分ではあまりないのですが、スピリチュアル霊視を始めます。

霊視というとなんか胡散臭く感じますか?

そうです、胡散臭いんです(笑)

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いや今でこそ陰陽師的なことは日常ではなくなりましたが日本はスピリチュアルな国なんですよ、本来は。

天皇の存在自体が天孫降臨ですし、象徴ではありますがほとんどの日本国民が天皇こそが日本人の中心であると認めています。しかも元号を今でも使っています。(来年、平成から新元号にかわりますよね)

ほとんどの日本人はお正月は初詣に行きますし・・

量子物理学に素粒子は認識することで実体化するとあります(理系でないので間違ってたらすみません)

これから科学がもっと進めば霊の世界も解明されてくるかもしれません。

さて表題のスピリチュアル霊視なんですが、この文を書いている私が霊能者なんです。

もっともメッチャ偉そうにいう気もなく視えてしまってすみませんという気持ちなのですが・・

東京の某有名霊能者Iさんの進めでこの度は大分でもスピリチュアル霊視を始めることになりました。

通常の占いでは答えが見つけにくい問題などを霊的な視点から答えを探ります。

重要な問題の場合はだいたいその方の守護霊様またはご先祖様が教えてくださいます。今、その方にとって重要なことを中心に時間のある限りお話を伺います。

私は今世では男性(既婚の43歳)ですが、前世では女性の時が多くとても女性的な考え方をしていますので、女性の方も安心してお越しください。

霊視をするときはラジオを聴く時のようにクライアントとの周波数を合あわせていきます。チャンネルがあうとそこで色々と聴けたり視えたりするわけです。

どんな人も霊能者ではあります。人の本質が霊体である以上当然なのですが・・

私のように前世からずっとこういった霊的な仕事をしているとより分かりやすくはなります。

私は江原啓之さんや美輪明宏さんの本や講演で多くを学びました。とても尊敬できる先輩です。といっても江原さんも美輪さんも弟子などとったことありませんから私が勝手に尊敬申し上げているのみです。

話がちぐはぐはしていますが要するに大分で私がスピリチュアル的な霊視を始めるということです。

スピリチュアル霊視とは

霊視(れいし)とは、霊的に見ること、つまり肉体的な感覚器は用いずに見ること、あるいは霊的な存在を見ることである。

こうしたことに特に秀でた人は霊能者と呼ばれている。

美輪明宏は、霊能者が「霊を見る」と表現することについて、以下のように説明した 。

「霊を見る」というのはどこで見るかというと、大脳のスクリーンで見ているとし、ちょうど、夢というのが肉眼を用いずともはっきりと映像として見えるのと同じことだという

霊能者によって見え方というのは様々であり、異なっているという。霊能者といわれる人たちの多くは、目を半眼にする(少しだけ開ける)かあるいは閉じると、大脳のスクリーンに映った映像を読むことができるという。そうしておいて、そのスクリーンに映った映像で判断をするという。これが顕著にわかる人を我々は霊能者と言っているのだという

夢を見ることができるということは、すでに霊的な能力を持っているということだ、と美輪明宏は説明した。ただし、それを信じることができるかできないかが問題なのだという。ほとんどの人は「夢だから信じない」と思ってしまったり、「変な夢を見たわ、正夢かしら」と思う程度でそれを忘れてしまう。そのようにして人々は自分たちの能力を見過ごしてしまっている、というのである。

目の開きかたについて、美輪明宏は次のように説明した。仏像を例に挙げ、目を開いているのはお不動様か仁王様くらいのもので、「他の仏様というのはほとんど半眼で、目を半分だけ開いています」と示唆した。(ちなみに霊視しようという時には半眼にするのがコツだということについては、美輪明宏はテレビ番組『オーラの泉』に出演中にも述べたことがある。半眼にして25メートルほど先をぼーっと見ているとやがてそうした映像が見えてくる、といった主旨のことを視聴者に対して説明した。)

霊視に様々な見え方があるということに関しては、まるで実際の肉眼で見えるような見え方をする霊能者もいれば、まぼろし(イリュージョン)として見える霊能者もいるという

美輪明宏自身の見え方に関して言えば、ちょど普通の人が《思い出す能力》を持っているように、思い出している時と同じような見え方がしているという。例えば読者がパソコンの画面を見ている時、肉眼は画面を見ているわけだが、それでも「小学校の時の音楽の授業風景を思い出しましょう」と言われれば、肉眼ではなく脳のスクリーンに音楽の授業を受けていた時の教室の風景がはっきりと映る。「霊を見る」とはそのようなものだという

また、霊の声が聞こえるという場合でも、その声というのは(肉の)耳で聴くのではないという。上の音楽の授業の例で言えば、授業を思い出せば、学校の好きだった先生、嫌いだった先生や、子供たちの声がしっかりと聞こえることに言及しつつ、「 それはどこで聴いているのでしょう 」、と美輪は読者に熟考を促している

さらに、こうした説明をしても理解できない読者の理解を促すため、美輪明宏は霊を見ることを《タイムスリップする》とも表現していると述べた。ちょうど《思い出す》行為が時間を超えて大脳のスクリーン上に現出させるように、霊の世界には時間と空間が無いから、霊を見ることはいわば時空を超えるということであり、霊を見ることというのは、肉体はここにあるけれども瞬時にして時間を超えて思い出すということ、と説明した

なお、実は人間にはそういう能力があるというのに、人間というのはそうした能力のことは何となくボンヤリと、ただいい加減に思っているだけだし、科学者もしっかりと研究しようとも思っていない、と美輪明宏は指摘した

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私の霊視にはとても気力を使いますのでご希望者は必ず予約をお願いします。また、只今中々予約が取れない状態になっていますので早めにお願いいたします。

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