大分の占い師が語る手相について

手相についての個人的感想

手相は日本でも人気ですね。
一番有名なのは芸人占い師の島田秀平さんでしょうか?
エロ線とかで新しい呼び方をしていますね。
彼は最初は江原啓之さんの教えを勉強してTVで発信していましたが、途中から「パワースポット」という話題ワードを安易に使ったりして江原さん自身からおかんむりを受けたりしています。
しかしながらそもそも占いをアカデミックな学問と見れるのでしょうか?
難しいところですね、そもそも臨床ができない。
言ったもの勝ちなところがあります。
ただ、研究の余地はあります。
性格は顔に現れるみたいなもので、運命は手に刻まれる。
これが手相です。




もともとの発祥は不明ですが、どうやら西洋のどこかということみたいです。
相手に聞かなくとも相手を知るということは現代でもとても需要です。
今みたいにテレビもネットも新聞も無い時代はなおさら。
ですので今以上に相手を見た目や立ち振る舞いなどで観察して知ろうとしたに違いません。
その一つが手相です。
ですのでまずはその人の性格や生い立ちを知ろうとしたのだと思われます。
西洋では、占星術をベースに手相術が発達しました。
今の手相のベースはそこです。
まあ、なんとかの母とかは勝手にいろんな解釈をしているだと思いますが。。
手相には正解はないのでそれもいいかとは思います。
ただ、なんであんなに偉そうなのだろう?
そこは頂けません。
占い師で偉そうにしている人は信用できない。
これは私の持論ですが。。



手相の起源

手相術の起源。それは古代へ遡る。と手相術の本ではしばしば主張されがちです。場合によっては、かのギリシャの哲学者アリストテレスが手相術の大家であったかのように述べられることもあります。しかしながら実際のところ、アリストテレスが手相術を本当に実践していたことはおろか、古代の記録の中において、今日のような手相術の理論が存在していた証拠すら見つかっていません。確かに、古代インド、あるいはギリシャ・ローマなどでも、今日の手相術のように体系化されていない断片的な「迷信」レベルの伝承としてならば、それが存在していたことを示す証拠はわずかながら存在します。けれども、それらは今日の手相術とは、その内容的にも、理論的にもほとんど関係がありません 。

ヨーロッパにおける手相術のはっきりとしたプロト・タイプが現れるのは、いわゆる「12世紀ルネサンス」の頃です。当時の手相術に関する写本の内容は、依然として断片的な知識の寄せ集めに過ぎないとは言え、おそらくそれらが14世紀辺りから占星術と結びつき、今日の体系化された手相術へと姿を変えていったのではないかと思われます。実際に、占星術のシンボリズムを応用した手相術に関する現存する最も古いテキストは、14世紀終わりのものとみなされている「スンマ・カイロマンティア(Summa Chiromantia)」という写本です。

5世紀終わり頃になると、木版印刷された形として手相術の本が出回りはじめます。最も古いものとして知られているのは1475年にドイツのアウグスブルクで出版されたヨハネス・ハートリーブという人物による『手相術(Die Kunst Chiromantia)』です。

その後、印刷技術の広まりとともに、各地で手相術に関する書物が出版されるようになり、その知識はヨーロッパ各地の多くの人の元へと広まっていきます。そういった流れの中で、16世紀、そして17世紀にかけて、まさに手相術の黄金時代を迎えることとなります。

しかしながら、手相術は18世紀に入り、大きく衰退していきます。その理由は、「占星術の歴史」のところで述べているように、いわゆる「科学革命」によって占星術を支えていた古代からの宇宙像が過去のものとされたことと関係しています。すなわち、知識人たちの間で、占星術自体が時代遅れのものとみなされることは、占星術のシンボリズムに支えられていた手相術も、同様のものとして省みられなくなっていったというわけです。

19世紀に入ると手相術は、異なる二つの方向性を目指すことで、息を吹き返し始めます。
一つは科学的なアプローチへと接近していく方向。これはフランスのカジミール・スタニスラス・ダルペンティニー(1798‐?)からはじまり、19世紀末に設立されることになる「ロンドン手相学協会」や、20世紀の手相術のバイブルとも称される『科学的手相術の法則(The Laws of Scientific Palmistry)』を書いたウィリアム・ベンハムへと引き継がれ、さらには占星術のシンボリズムから離れ、皮膚隆線に注目し「医学的手相学」を発展させたノエル・ジャケン(1893-1974)やベリル・ハッチンソン(1891-1981)らへと続いていきます。
手相術の世界図32

もうひとつは19世紀のオカルティズムと手相術を結びつけ、占星術的手相術を復興させる方向。これは「タロットの歴史」の中で非常に重要なポジションを占めるエリファス・レヴィの弟子であったアドリアン・アドルフ・デバロール(1801-1886)からはじまる流れです。

今日、手相術は、伝統的な占星術的手相術のシンボリズムをベースにしながらも、19世紀後半以降の様々な手相術のメソッドを吸収しつつも、より現代に受け入れやすい形へと変わっていっています。

特に、古い時代の手相術の本に圧倒的に多かった「死」、「病い」、「事故」などの生まれもっての不運を示す印の記述が今日ではほとんど影を潜め、逆によりポジティヴな形でその人の才能や可能性を見いだすためのツールとしての有効性を強調するようになっています。

いずれにせよ、これらか未来、手相術の在り方が変化していったとしても、「人の手の形やしわに、その人の運命が刻まれている」という手相術独自のユニークなアイデアは、多くの人々を魅了し続けていくのではないでしょうか。

伊泉龍一氏のブログより引用

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