OSHO禅タロット

OSHO禅タロットタロット占い

OSHO禅タロットについて

こんにちは、大分の占い師クプア晃慈です。これからうちで受かっているOSHO禅タロットについての解説をしていきたいと思います。

そもそも論としてOSHO禅タロットって何?というのがあると思うので少しまとめてみます。

まずは禅タロットに前に来るOSHOって何?和尚?ぐらいの事から書いてみようと思います。



OSHOって何?

バグワン・シュリ・ラジニーシBhagwan Shree Rajneesh、和尚/オショウ;Osho)、1931年12月11日 – 1990年1月19日)は、インドの宗教家、神秘思想家、20世紀の覚者。 21歳の時、ジャバルプールのバンヴァータル庭園にあるモールシュリの木の下で光明(悟り)を得る。 真理の探究こそ第一の優先事項であり、人は自らの生の源泉を探究することに関心を寄せねばならないと説く。瞑想が始まりでサマディ(悟り)が終着と説く。

哲学、仏教、禅、神秘主義思想など、あらゆる精神性の題材を取り上げ、その精髄を現代人の為に簡単に説き明かす。その講話録は650冊以上にものぼり、世界50ヵ国以上で翻訳、出版されている。

引用:wikipedia                                                                         https://ja.wikipedia.org/wiki/

悟りは本当か分かりませんが、禅などを中心として哲学者で宗教家でアット用ですね。もう少し見てみましょう。
OSHO禅タロット
OSHO(和尚)ことパグワンさん
引用 https://www.osho.com/ja/read/osho/osho-on-osho
私が、深刻な人間であった試しはない。私は、まったく深刻ではない。というのも、存在が深刻ではないからだ。それは、とても遊びに満ち、そんなにもたくさんの歌と、音楽と、微妙な笑いで満ちている。存在は、目的を持たない――それはビジネス的ではない。それは、溢れるエネルギーから生まれる、純粋な歓び、純粋なダンスだ
↑彼の言葉です。何とも禅問答チックな話しぶりですね。私は好きですが理系の人は何じゃらほいと思うかも・・
このOSHOさんについての事は彼のホームページもあるのでぜひご覧ください。




OSHO禅タロットを作ったOSHO(和尚)とは

一般には宗教家または精神的指導者と見なされるが、従来的な通念をもって語ることは難しく、みずからは特定のカテゴリに分類されることを望まなかった。

数々の講話のなかで、禅を含め古今東西の宗教性の源流や注目すべき人物について語りながらも、因習的もしくは組織的な宗教についてはその弊害を強調し、それらを純粋な宗教性の追求と区別した。

初期においてはヒンディ語、のちには英語によって行われた講話の数々は、録音と録画によって記録されるとともに、多様な言語に翻訳され、膨大な数の本として出版された。法句経/般若心経/金剛般若経をはじめとする仏典、碧巌録などを出典とする禅の逸話、ティローパやアティーシャなどチベット仏教の比較的に知られざる源流を創始した人物の言葉、インドに伝わる112の瞑想的技法の精髄を詩文として伝える「ヴィギャン・バイラーヴ・タントラ」、ウパニシャッド、パタンジャリのヨーガ・スートラ、老子や荘子の言葉、スーフィーの物語や逸話、聖トーマスによるものを含む福音書、ピタゴラスの金言集、ニーチェの『ツァラストラはかく語りき』などを取り上げた講話のシリーズのほか、弟子たちや報道陣からの質問に答えた講話のシリーズ、初期における弟子たちとの間での親密な対話を収めたシリーズなどがある。講話は多大なユーモアを伴い、たくさんのジョークが含まれている。

これらの講話によって多様なトピックを扱うが、その多面性ゆえに、その内容を簡単にまとめたり、固定した教義を引き出したりするのが難しい。便宜的な要約として、ラジニーシは、頭または心の機械的な動きや条件付けに縛られた「マインド」(mind)からの解放と意識の「目覚め」(awakening)を説き、「瞑想」(meditation)の道を示したというように言うこともできるが、これらの言葉が意味するところを理解するには体験もまた必要である。ラジニーシは同一のトピックを異なる観点や文脈をもって扱い、表面的に矛盾した見解を提示することも多く、聞き手の注意が求められる。

ラジニーシは、古来から伝わる瞑想的な技法について紹介および解説するとともに、現代人に向けて新しい瞑想の技法を編み出し、西洋的なセラピーのテクニックも導入した。ラジニーシの周辺には、彼を慕う人たちのコミューン的な状況が生まれ、その状況のなかで、各種の瞑想的な技法、心身統合的セラピー、音楽をはじめとする多彩な芸術活動が営まれた。ラジニーシの講話の多様性を反映して、ラジニーシの周辺で起きた精神的な追求の背景も多様であり、東洋に伝わる古来の技法に基づくもの、禅、タオイズム、タントラ、スーフィーなどの流れをくむもの、西洋的なセラピーやヒーリングのアプローチに瞑想的な性格を加えたものなどが含まれる。

このコミューン的なムーヴメントとそのなかで展開された多彩な活動の特徴として、それはラジニーシから内的に触発された多様な人々の創造性の爆発として生じた。コミューンの運営や出版に関わる領域では一定の組織体制を整えることが必要とされたが、これは精神的な権威とは見なされず、組織または団体としてのひとつにまとまった体制を備えることはなかった。ラジニーシの周辺で生じた多彩な活動は、こうした集合的なダイナミズムのなかで、発展あるいは衰退した。その中心となったのは、ラジニーシがみずから拠点とした場所としてのインドのプネー(1972〜1981および1986〜1990)、およびアメリカのオレゴン州に建設されたラジニーシプーラム(1981〜1985)だが、ラジニーシを慕う人たちの活動は世界的な広がりを見せた。

ラジニーシは、因習的な宗教や社会的な条件付けに対する批判と既存の価値観をくつがえす発言により、多くの人たちを惹きつけると同時に多くの反発を招いた。ラジニーシの周辺で生じたコミューン的な志向の強いムーヴメントも同様である。

引用:wikipedia                                                                         https://ja.wikipedia.org/wiki/

時代背景もあるでしょうが波乱万丈な人生でしたね。アメリカのヒッピー文化とも上手く結びついて最終的には排除されたようです。
このパグワン・シュリ・ラジニーシ=和尚(OSHO)でこの方が禅タロットを作った流れになります。よって禅タロットには色々な要素が入っていることは間違いありません。
さらに

Oshoの数千時間に及ぶ講話は、意味を求める個人的な探求から、今日の社会が直面している最も切迫した社会的及び政治的な問題までを網羅しており、ひとつの範疇には収まりません。

Oshoの本は書かれたものではなく、国際色豊かな聴衆に向かって語られた、即興的な講話を記録したオーディオやビデオテープから文字に起こされたものです。彼はこう言います。「覚えておきなさい……私が話すことは何であれ、あなただけのためではない……私はまた将来世代のためにも話している」。Oshoはロンドンの「サンデー・タイムズ」によって『二十世紀をつくった千人』の一人として、また米国の作家トム・ロビンスによって『イエス・キリスト以来、最も危険な人』として評されています。インドの「サンデー・ミッドデー」はインドの運命を変えた十人の一人として、ガンディー、ネルー、仏陀とともにOshoを選びました。自らのワークについて、Oshoは、新しい種類の人間が誕生するための条件づくりに手を貸しているのだと言っています。彼はしばしば、この新しい人間を「ゾルバ・ザ・ブッダ」ーー「ゾルバ・ザ・グリーク(『その男ゾルバ』)のこの世の生の快楽と、仏陀の静かな安らぎ、その両方を楽しめる人間として描いています。Oshoの講話と瞑想法のあらゆる局面を通して一本の糸のように貫かれているのは、時を超えた智慧と科学と技術の最高の可能性、その両方を含むビジョンです。

Oshoは、現代のペースの速い生活を考慮した瞑想のアプローチとあいまって、内なる変容の科学への革命的な貢献によって知られています。彼のユニークな「Oshoのアクティブ・メディテーション(動的な瞑想)」は、体と心に蓄積されたストレスを解放するように考案されているので、思考にとらわれない、くつろいだ瞑想の境地を楽に体験することができます。

引用:OSHO公式HP https://www.osho.com/ja/read/osho/about-osho

OSHOさん自身が本などを書いているのではなく、ソクラテスみたいに対話をしているものを弟子が書いて本などにしてるようです。哲学者的でもありますね。
OSHOさんについてはだいぶ理解できたかと思います。

 




コメント

タイトルとURLをコピーしました